顔が汚すぎる俺はどうすれば救われるのか

俺は中学生になった時からニキビが出始めた。姉もそうだったし、聞いた話によると母もそれなりに酷かったらしい。まあ思春期の風物詩のようなもので、時期が過ぎれば自然と落ち着くだろう。今となってはすっかり綺麗になった姉の肌を見て俺はそう自分を慰めた。今だけの辛抱だと。これを乗り越えれば俺も女子に「俺君ってさ、肌綺麗だね。女子みたい笑」なんて言われて「いや、前は結構ニキビとかあったよ笑」とか爽やかに返すようなイケメンになれるだろうと思った。

そう、思っていた。

 忘れもしない中学3年生の体育祭の日、燦々と照りつける太陽のもと、俺は不真面目ながらも女子に格好悪く思われたくないし頑張ろう位のスタンスで競技に取り組んでいた。それまで日焼けというのは肌を黒くするものだという認識で、軟弱なイメージを持たれがちな色白な俺にとってちょっとした憧れもあった。

しかし現実は残酷だった。俺は日焼けで黒くなるタイプではなく、火傷のように赤くなるタイプだったのだ。

しかもその日の紫外線は一味違ったらしい。体育祭が終わった時点で俺の顔はテンプレなツンデレキャラのように赤くなっていて、帰り際にすれ違った女子には鼻で笑われていた。思い返してみれば、一緒に下校した友達は信号などで止まって話している時も俺の顔から目を逸らしていたような気がする。しかしその時、鏡を見る機会がなかった俺は日焼けをしていると言ってもそこまで酷くはないだろうと思った。小学生の頃野球部に入っていた時にあったような、数日で治るかわいいものだと。

それは間違いだった。家に帰った孫を迎えた祖母は「随分日焼けしたね」と笑ったがそれだけだった。田舎育ちの老女は日焼け止めなんて無い時代を生き抜いてきたのだ、農作業など太陽の下で働いた男達を目にして来ただろうから、俺の日焼けも大した事だとは思わなかったのだろう。当の本人は深く考えずに、日課の床オナに勤しんでいた。しかし母が仕事から帰ってきた時、驚かせようと軽い気持ちで顔を見せたら、彼女の表情は固まった。そして驚愕。

「あんた、それどうしたの!!」

それは日焼けという域を超えていた。鼻と両頬が高温で熱せられた金属のように赤く染まり、所々に水膨れのようなものが発生し、ドロドロの黄色い汁が膿のように滲み出ている。明らかに尋常ではない。

それから夜間救急に俺は連れて行かれた。日焼けで救急に行く男子中学生というのも珍しい。あまり覚えていないが、塗り薬やら抗生物質やらを処方されたような気がする。

 

そして数年が経った。当時に比べると完全にというわけではないが、ニキビは大分落ち着いたように感じる。

しかしその日焼けに端を発する肌の赤みは未だに治っていない。鼻、そして両頬の赤みが酷い。もしかしたらニキビによる炎症なのかもしれないが、俺はあの時の日焼けが全ての原因だったのだと思っている。毛穴は広がり、典型的なイチゴ鼻になっている。

肌が汚いと心まで卑屈になる。俺はアルバイト先で「俺君ってイケメンだよね」と店長に言われ、そこに居た女子高生も「俺さんはイケると思いますよ」と同意していたし、パートさんには「可愛い顔してる」「俺君って爽やか系だね」と評価されたが、どうせ内心では「顔汚すぎて気持ち悪い」と引いてるんだろうなとか思っていた。写真に撮られるのも苦手で、友達とかと遊んだ時も自撮りなんて死んでもしない。容姿的なコンプレックスがあるとコミュニケーションに支障をきたすという事を嫌という程俺は知ってきた。ケツの皮を顔に移植することも本気で考えた。

俺はただでさえ身長が低いし、頭が規格外にでかいし、古い巻物に描かれているような餓鬼のような体型をしているから、顔の肌だけでも綺麗じゃないとどうしようもない。しかし今までの生活では治らなかった。これは即ち、生活習慣を改善しなければ栄光は掴めないという事を意味している。オナ禁、というワードが頭によぎる。眉唾ものだが、試してみる価値はあるのか――現にオナニーをしまくっているのは事実である。

しかしオナニーの快楽と顔の肌が綺麗になること、どちらを選ぶかと言ったら苦渋の末に結局前者を選ぶ弱い人間が俺なのだ。快楽には抗えなかったよ。それでも、肌が綺麗になることでヤリチンになれるというのなら話は別だ。しかしその保証がないから一歩を踏み出せない。

そこんところ教えてくれよ、神様。こんな時だけ、もしくはトイレで猛烈な腹痛に襲われた時だけ、俺は神を信じるし、縋る。宗教とはこうして生まれる。