天気もいいし、一人で知らない街を徘徊してきた

春の陽気が立ち込める晴天。今日はいつにもまして暖かい。俺はすることも無かったのでピアノを少し弾いてから髭も剃らずに相棒のクロスバイク――エスケープR3に飛び乗った。ちなみに性別は女。彼女も久し振りのドライブに胸をときめかせていただろう。引越し先でもよろしくね、とすべすべしたフレームを撫でる。

今日はバイトの給料日だったのを思い出し、まず郵便局のATMで記帳を行う。吐き出された紙面には俺の金遣いの荒さの痕跡が包み隠さず刻まれていた。給料が振り込まれた翌日に全額引き出されていたりするから笑う。

それからは何処に行こうかと考えていたが、やがて気の赴くままに近場の駅の駐輪場の自転車を停め、金銭的余裕もあることだし少し遠出してみようと路線図から見知らぬ土地名を適当に選出して切符を購入した。これは本当に、なんとなく、が起こした一種衝動的な行動だった。

 

俺は田舎住みであるし、移動は基本自転車と自動車で事足りるから、電車はあまり乗ったことがない。普段何気なく通り過ぎる街角の一つ一つ、自然に囲まれた風景が、こうして慣れない電車の窓から見ると新鮮に映るものだと思いながら、のんびりと鈍行に揺られていた。そして二駅程通過した所で停止した。動かない。訝しみ、視線を交わす乗客達。やがて運転手からのアナウンスが入り、詳しい事情は分からないが、どうやら線路内に誰か一般人が入り込み、出ていかないらしい。やれやれ、と肩を竦める。車内には困惑と不満との空気が流れていた。近くに座っていたセーラー服の少女は、このままでは高校の入学手続きに間に合わないと知らないおばさんに話している。しかし来週にまた同じ手続きの為の日が設けてあるらしいので、今回は逃しても大丈夫だと気丈に笑う。良かったね。俺は一切用事がないので精神的余裕を持っていたが、斜向かいに座っていた作業着姿のおっさんは落ち着かない様子で周囲を見回したり、足でタップを踏んだりしていた。無理もない。結局遅延は一時間弱に及んだ。田舎の乗客もまばらな電車だから良かったものの、これが一分一秒を争って日々を送る都会なら罵詈雑言が飛び交っていただろうと思われる。

 

そんな感じで目的地に到着。俺は知らない土地に降りていった。駅はローカルよりはマシだが、売店や待合所が有るだけで、暇を潰せるような喫茶店やショップは無かった。平日の昼下がり、人気は少ない。時間帯に関わらずいつもこうなんだろうと思いながら俺は歩き始めた。

辺りをキョロキョロと見回しながら進む。駅に通じる大通りだというのに、立ち並ぶ建物はシャッターが閉まっていたり、中身が空き室だったりするのが多い。これが田舎である。細々とした店舗は全て大型ショッピングセンターという侵略者によって絶望の淵に追いやられるのだ。いや、そもそも出歩いている人が少ないのが原因か。少子高齢化・人口減少の現実(リアル)を俺はこうして目にする。

なかなか大きい市の文化施設があったので入ってみる。コンクリートで造られた灰色の壁面。和室やら会議室やら、こういった場所には決まって存在するそれらをちらりと窺っては次に向かう。そして読書好きの俺を魅了する図書館が姿を現した。あれ、結構立派じゃね。というのが最初の印象。比較的新しめに感じられる艷やかなブラウンの本棚が並び、二階まで置いてある本のジャンルは多岐に渡る。自習室も完備。県庁所在地でもないこんな田舎でありながら、ここは今まで訪れた図書館の中でもグレードの高い部類だと思った。捨てたもんじゃない。

満足して外に出る。天気は崩れそうにない。路地に入ってみると、子供達の歓声が何処かから聞こえてきて、無意識に足取りはそちらへ向かっていた。そして小学校に辿り着く。昼の休み時間なのだろう、校庭には生徒が駆け回っていた。弾ける笑顔。その様子をずっと眺めていられたらさぞかし幸福だろうと思ったが、通報されるかもしれないという恐怖が勝り早足でその場を後にした。

やがて小高い台地に続く坂道に差し掛かった。看板にはここは城跡であると記されている。道沿いに続く桜並木には小さな蕾が力を蓄えていた。やがて広場に辿り着く。ウォーキングコースにぐるりと囲まれて芝生があり、滑り台やブランコ、アトラクション風の遊具が見える。そしてシートを敷いた上に座り、自分達の小さい子供が遊んでいる様子を見守りながら談笑する若い母親たち。俺はその姿に、遠い地で初めての育児をしている姉を重ね合わせていた。今でこそ淑やかな母親になった(と思いたい)彼女だが、学生時代は弟ながらまあ手を焼いたものだ――それは後で記事のネタにしよう。頂上近くには昔は機能していたと言う空の鳥籠が風に吹かれていたり、こじんまりとした神社や展望台があった。一通り見て回る。と、ここで初めて空腹に襲われた。

 

折角だしここにしか無いような個人経営の店で食事したい、と思いながら慣れぬ街を徘徊する。すると雰囲気の良さそうな喫茶店を見つけたので勇気を出して入ってみた。ウッド調のドアを開くと、欧米風のグッズが並べられた店内に、どこか威圧感を醸し出す口数の少なそうな太った男とその奥さんが立っていた。他に客は居ない。俺は気にしない素振りで頭を下げると席に付いた。水とメニュー表が渡される。ぱらぱらとめくってみて【今日のランチ】欄にあったインディアン・オムライスというもののセットを注文してみる。

どんな料理なんだろう。スマホで帰りの電車を時刻を確認したり、店内の装飾を興味深く眺めて待つ。そして額縁に入った一枚のイラストに目が止まった。それは異様な求心力をもって俺の視線を釘付けにした。見ると、小さく「マージナルブレンド」という文字が。絵のタイトルか、それとも――? 

スマホで調べてみると、コミケ・C83という意外な単語と共に幾つかの記事がヒットした。どうやらマージナルブレンドというのは「HUMMING LIFE」という同人音楽サークルがC83で販売した音楽CDの一つらしい。このイラストはそのジャケットとして描かれたものだろう。こんなん見たら買うやん。……CD完売、今はダウンロード版しかない、だと。

そして絵師さんのpixivアカウントとその絵が投稿されているのも発見したので、手前勝手にリンクを貼っておく。

素敵なイラストなので是非ご覧ください。

www.pixiv.net

そして↓がHUMMING LIFEさんのHP。

http://humminglife.jp/

どうせ俺を知ってる人が見れば一発で俺だと分かる記事ばっかり書いているから構わず言うが、絵師さんの今野隼史さんは同じ秋田県出身らしい。まさかこの店のオーナーの息子、だったりするのだろうか……とスマホの画面と飾られたイラストを交互に見て息を呑む。いや、まさかな、それはないない、でも、偶然にしては……。なんにせよ、俺と同じ田舎の出身者にこんな素晴らしいセンスの絵を描く人が居るなんて誇らしかった。

そんなことを考えていたら料理が届いた。うおっ、なかなかボリュームが有る。初めて見たが、インディアンオムライスとは、簡単に言うとオムライスをカレーに浸した料理だ。スプーンを手に、そっと口元に運ぶ。うん、おいしい! ふわとろの玉子に包まれたライスと適度な辛さのコクのあるカレーが非常にマッチしている。サラダと味噌汁もかき込む。洋楽が流れる店内に俺の咀嚼音が響く。テレビを点けてアイスホッケーの試合を見る店員。食後のあんみつきなこアイスクリームも大変美味でした。

 

店内の雰囲気がとても良くて、落ち着く。完食した後も暫く水をちょびちょび飲みながらついつい居座ってしまった。邪魔してごめんなさい、お会計で一万円札しか出せなくてごめんなさい。

美味しかったです、ごちそうさまでした。と忘れずに伝えてから店を出る。俺が某回転寿司店でレジをしていた時、自分が商品を作ったわけじゃないのに、お客さんから「ごちそうさま」とか「おいしかったよ」と言われたらとても気分が良かった。だから少なくとも悪い気はしないだろうし、飲食店に行った時は会計とかの際に伝えるように意識している。

また来てね、という言葉が社交辞令であろうと嬉しかった。春の陽気に汗ばんだ背中もすっかり乾いている。その後はわざと狭い路地を進んだりして駅に向かい、待合所でぼーっとして電車を待った。

じきに時刻となり、俺は観光帰りであろうおばさん達の集団が乗り込む電車に揺られて帰った。

エスケープちゃんは向かってくる俺を見つけるとぱっと顔を輝かせてから、赤くなり、ぷいとそっぽを向いた。遅かったね、心配したんだよ。……寂しかったんだから。そんな彼女の言葉に俺は笑って謝る。次のデートは置いていったりしないから。

結局、今回のささやかな日帰り旅行は移動費に2000円近く費やした(俺にとっては大きい出費だ)のだが、やったことと言えば、駅から3キロくらいを徘徊して、図書館を見て、知らない喫茶店でランチをした――それだけだった。事前に情報を集めるなり、ちゃんと計画を練っていればもっと色んな場所に訪れられただろう。

ただこれもこれでいいのだと思える。偶然ながら素敵なイラスト、サークルさんとの出会いもあったし、インディアン・オムライスは美味しかった。それでいいかなって。

 

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