世の中がつまらなくなったんじゃない、――あなたがつまらない人間になったのよ

昨日、予定通り友達と遊んできた。

バイトの給料が振り込まれていつもより膨らんだ財布を手に、約一ヶ月ぶりに街に繰り出したのだった。

 俺はイベント行事とは無縁のド田舎に住んでいるので、友達と遊ぶといっても行く場所が相当限られている。イオン・デートは田舎っぺのカップルを馬鹿にする時に使う単語の代表的なものだが、それは事実ネットが普及し多用な価値観が入り乱れる現代でも存在している行為であることをここに記しておく。

さて俺達は家でテレビゲームを嗜んだ後、車に乗り込んだのであったが、如何せん行き先というものが思いつかなかった。結局、いつもと同じ「イオン、サティ(もはや死語である)、セガラウンドワン、……」といった巡遊コースを選択した。

どこも休日ということもあり田舎にしては混んでいる。男二人組でインキャ臭を垂れ流して歩く俺達は場違いのような雰囲気を感じていた。

だが店舗内を歩いていても、することが何もない。ショッピングなんて柄じゃない俺らは連なるファッション店を横目に、若者で溢れかえるロフトを通り過ぎ、その足は自然とゲームセンターへと向かっていた。しかし――昔は目を輝かせて飛び込んでいたゲーセンという空間にも、俺達を楽しませるものは無かった。音ゲーもしない、格ゲーもしない、そんな俺達はいざゲーセンに行っても何もすることがないのだった。初心者でも比較的取っ付きやすく楽しめるタイムクライシスjubeatを申し訳程度にプレイした後は、UFOキャッチャーの景品のフィギュアを見てこれはエロいだの、これは何ガンダムだの、適当に流し見をしてその場を後にした。セガに至ってはわざわざ車を走らせたのに100円も使わなかった。

本屋に、ブックオフに入る。友達は最近ハマりだしたライトノベルの元へ向かう。俺は漫画コーナーを歩き回り、何か新しいシリーズを開拓しようかと目を巡らすが、結局何も買わず終いだった。金を出してまで手に入れたいと惹かれるものがない。それは友達も同じだった。ちなみに彼が本屋で新刊を購入する姿を俺は一度も目にしたことがない。俺達は俗に言うひやかしを各地で繰り返した。18禁コーナーに入っても同人誌を手に取っては裏表紙のサークル名を意味も無く確認するだけである。

なんだこれは。アニソンが流れる車内、俺は友達を退屈させては悪いと思い話題を提供するが、答える彼も恐らく内心では同じことを考えていただろう。これでは惰性ではないかと。

最後に俺達はいつも行く焼肉屋に腰を落ち着かせた。男二人、焼き肉。俺は酒も入ってないのにテンションが不自然に上がり、妹萌えについて存分に語り尽くした。それから近場の風呂に入り、同じ湯船に知らないおっさんが聞き耳を立てている横で、妹が居る知人への怨嗟の声を吐き尽くした後、解散。

友達は、

「明日(つまり今日のことだ)も暇だから遊ぼうぜ。10時にお前の家行くわ」

と言って、その時は俺も了承したのだが、帰宅して布団に入ると訳のわからない疲れがどっと押し寄せてきて、

「悪い。明日ちょっと遊ぶの無理そうだわ」

とついラインしていた。ダルかった。家でちんこでも弄ってようと思った。

 

これが、俺達である。今年二十歳になる男達の遊戯である。

きっと同年代のリア充のあいつはもっと違う遊び方をしているんだろう。環境が、このド田舎という環境も勿論悪いが、それが全てじゃない。環境に文句を言うやつは糞だと過去に偉い人が言った(ような気がする)。

こんな土地でも、馬鹿なことをして面白おかしく遊ぶ奴は大勢いる。俺達がつまらないのだ。それが結論だった。

近年、YouTuberの「何々してみた」という動画の人気には目を見張るものがある。その魅力の源泉は何かと考えた時、脳内に俺達がすることもなく呆けている姿がフラッシュバックした。そして解を得た。彼等の企画が人気な由縁、それは与えられた環境(事物)で新しい遊戯を模索し、創造している事が大きいのではないだろうか。それは退屈した俺達にとって一種の憧憬のように――希望のように映る。

俺はYouTuberを目指しているわけではない。むしろ「あいつらちょっと痛くね」と陰口を叩く方である。しかし、彼等のように生きてみたいと思う自分も紛れもなく存在する。

 

俺は、どんな場所でも楽しく生きる自分になりたい。

実際そんなやつが居たら俺は好ましく思うだろう。

大学で、俺は変わる。変わってみせる。

そして・・・まだ見ぬ、病弱おとなしめ系黒髪ショート眼鏡色白インドア派三姉妹長女文学好き少女との邂逅を果たし・・・

 

セックス。